top of page
Search
  • Writer's pictureTomizo Jinno

新型コロナウィルスと映像メディア

Updated: Jun 28, 2023

「人ー人」感染

ついに日本国内で始まったという報道を目(耳)にして、それにしても新聞、テレビの報道はこの「フェイズが一段上がった」ということを、いまひとつ深刻に表現していないように思う。


「報道管制?」もしくは「報道の忖度?」

僕は「日本人ー日本人」の人ー人感染が始まったということは、これはもう行き着くところまで行くのだろうな、と想像して、自身で打てる手はすべて取ろうと思っているのだけれど、現在の報道レベルは「もう少し様子を見よう」くらいにしか視聴者に受け取られていないんじゃないか?


想像力(妄想力?)の違い?

「そういうふうにしか見えない」というのは、たぶんウィルスは目に見えないし、罹患した患者の様子や、家族が死んで悲しむ様子などが伝えられているわけでもないので、「ことの深刻さがビジュアル化されていない」せいではないかと思う。


言われただけではことの重大性に気づけない

そういう人が多いと言ってしまえばそれまでだが、人は誰でも目の前に事実を突きつけられない限り、信じたくないものは信じない性質の動物だ。そういうことは、僕らのような映像で情報を人に伝える、という仕事をしている人間は、イヤというほど知っている。


深刻さを伝えるには?

たぶん、政府も行政もメディアも、「伝える側」だから「怖い」ということもあると思う。伝えた情報が世間にどんな風に受け取られ、どんな反応、行動が返ってくるのか、普段は「広報担当だから」と粋がっている人間も、こういう時の判断は、できれば「自分ではやりたくない」だろう。


いつ、どこまで深刻そうに伝えるのか

映像にできる仕事は実は大きい。反面、だからこそパンデミックを描いた映画などを今、テレビで再放映したら大変なことになるだろうと、想像できる。それくらい映像の力はデカい。


僕だったらどういう映像をいつ流すか・・・考えてみてもわからない、というのが本音。

映像は怖いのだ。

業界の人間ならそんなことは知っている、わかっている。

だから、今の報道はこんな感じなんだろう。

たぶん、そういうことだ。

納得。



bottom of page