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  • Writer's pictureTomizo Jinno

映像画質のリテラシーと視聴者のマインドセット

Updated: Aug 20, 2020

※この記事は2015年6月23日の旧ブログを転載したものです。


メディアが伝える情報を読み解く力

メディアリテラシーというのは、メディアが伝える情報を読み解く力、というように定義できますが、映像の分野ではさらに細かく見ていくと、「画質」にもリテラシー情報が隠れていることにみなさんお気づきでしょうか。


画質による演出

よく目にする画質による演出に、ビデオ画質が突然モノクロフィルム調に替わるというものがあります。視聴者はモノクロフィルムの映像は「過去の記録」と理解し、それまでの時間の流れとは異なる過去の時制に切り替えて、ストーリーを追いかけます。これは、画質による情報操作であり、人が「モノクロフィルムは古い過去の映像」という先入観をもっていること、画質のリテラシーを利用しています。

ところが、少し前になりますが、この「画質」が大反発を食らった事件がありました。

龍馬が生きた世界を生々しく表現しようと

NHKの大河ドラマは、以前はビデオ(NTSC、HI Vision)でしたが、龍馬伝(第49作)からビデオカメラではあってもプログレッシブと呼ばれる、フィルムに似た表現が得られる収録を採用しました。さらに編集時にフィルムの時代を彷彿とするようなエフェクトを掛け、龍馬が生きた世界を生々しく表現しようとしました。

ところがどうでしょう、放送が始まると「画像が暗い」「画質が悪い」という酷評が数多く寄せられました。画像のありようを演出とは捉えず、単なる技術力の低さのように言われたディレクターやカメラマンの忸怩たる思い、プロデューサーの胃の痛さ、想像して余りあります。


ここからは僕の分析です。

実は、映像の世界ではハイビジョンが一般化する以前まで、高品位の映像(大手企業のテレビCMなど)をつくるには35mmフィルムカメラで撮影して、ビデオに変換して編集するという方法が採用されていました。35mmフィルムのほうが表現出来る色彩や、明暗の階調がビデオに比べて格段に豊かだからです。実際にテレビで放送されるCMを見比べると、低予算(ビデオ撮り、ビデオ編集)の映像とは品位が異なり、視聴者も無意識にローカルvs.メジャーを峻別していました。これはまさに画質のリテラシーを利用したブランド戦略です。

ところがハイビジョンが一般化してくると、視聴者はビデオ(NTSC)画質よりも精緻、フィルムよりも明るい(ように見える)、第3の画質を日常的に目にするようになりました。一般視聴者は「これが高画質」という認識を持ちました。

さら時代は変わり、個人でもハイビジョンカメラが安価に手に入り、プログレッシブ(フィルム調)も自在に使え、GoProのようなユニークなカメラも現れ、YouTubeをはじめとした動画サイトには、ありとあらゆる画質の映像が溢れかえるようになりました。

もっと変わったのが実際のフィルムの映像など知らない、見たこともないという世代さえ増えてきたことです。そう、フィルムトーン画質リテラシーを利用した演出手法は、もう用を成さない時代が来ていたのです。


そこへ龍馬伝。

このドラマは、撮影セットや美術にもとても凝っていて、舞台となっている時代をリアルに再現、それをフィルム調に撮って、しかも歴史感を出すために編集で色彩を抑えたのです。

これが、NTSCのビデオドラマしか無い時代だったならば、まったく新しい表現として評価されたに違いありません。しかし、画質リテラシーを失った視聴者には龍馬伝の画質から何を読み取ったらいいのか、わからなくなっていたのです。このドラマのスタッフが使用したつもりの、画質によるマインドセットは、用を成さなかったばかりか、とんでもない誤解を招いてしまったのです。

画質をコントロールして視聴者のマインドセットを切り替える、という技は今の時代、もう一筋縄ではいきません。僕ら映像制作者にとっては、ひとつ表現手法を失ってしまったと言えるかも知れません。

でも大丈夫、若い世代にはまた新たな映像リテラシーが定着していくものだから。大きな話になりますが、こうした文化の変遷、価値観の変化を今進行中の時代の中から選り分けて見出す力も、映像製作者・映像制作会社にとってとても大切な能力だと思っています。


映像画質のリテラシーと視聴者のマインドセット

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