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  • 神野富三

デザインは人格

Updated: Dec 29, 2020


僕は映像プロデューサー(兼プランナー・シナリオライター)であってデザイナーではありません。デザイン業務は基本的にプロデザイナーにお願いしています。その上で本題です。

デザインはデザイナーの分身

カタチが有っても無くても、プロとして何かを創作する人から産み出されたプロダクツは、その人の人格そのもの、あるいは分身だと僕は思います。広告だけでなく、家具職人や小説家だってそうではないでしょうか。

だから、僕はプロのデザイナーが創作したデザインについて公の場所で批判することはしたくありません。もちろん家族や親しい仲間との会話であれば、ざっくばらんに感想をぶつけることはあります。しかし、個人のブログやFBであったとしても、第三者がそれを目にする可能性があるサイトにはそういうことは書きません。

それはそれを作った人の人格を否定することに等しいような気がするし、そうした言葉は当事者が読むことが無くても、その人に共感する人の心を傷つけるからです。

批判は有名税か?

有名な人だから有名税だ、という人もいるけれど、好きで有名になったわけでない人もいるし、僕のように鶏よりも小さな心臓の持ち主だっています。

けれども、こんな僕だって自分が紡ぎだした文章や、制作した映像は心から愛しているし、それらは僕の分身だと思っています。だから、どんな人からだって中傷を受ければ傷つきます。

仕事と遊びは別

ただし、真剣に作っていないもの、遊び半分で作ったようなもの、すなわちプロ意識をもたずにつくったものは除外していいのではないでしょうか。

それらには、その人の魂が込められているわけではないですから。魂が入っていない、すなわちその人の分身ではないのだから、たぶん誹謗するようなことを言ったところで「これ、ちゃちゃっと遊びで作ったからさ」と逃げ口上を言うだけでしょう。すなわち自分の仕事を愛していない、真剣に取り組んでいない証拠です。逆に見れば、自分が精魂込めて創りだしたものをけなされたら、どんな厚顔な人だって、誰だって大いに傷つき墜ち込むのです。プロだから傷つけていい、なんて理屈ってあるのでしょうか。

簡単に作ったことを自慢する人がいます

ですが、クライアントにお金を頂戴してクリエイティブな仕事をする場合には、そう簡単にすべての事柄をクリアした作品を産み出すなんてことはできません。通常、クライアントが要望する条件というのは、紙に書かれていなくても、言葉で言われなくても、業界常識、ビジネス習慣、マーケティングデータなど、配慮しなくてはならない項目がゴマンとあります。そういう事情にすべて配慮できるのも、数多くの抽斗を持っているプロだからです。

素人が、ちゃちゃっと作って上がり、とうものとはわけ(背景)が違います。

いただいた仕事に心を込める

僕らは作品には愛着があるし、責任を感じます。仕事に対する姿勢がそのまま作品に現れるのか?と言えばそうでない場合もあります。でも、真剣に取り組んだ「いい仕事」は必ずお客様や視聴者に喜んでいただけると信じています。

「いい仕事」をして行きたい、それが名古屋WEB動画制作所と株式会社映像設計の基本姿勢でもあります。

プロの仕事には文句を付けない主義

ところで僕は、自分がキャスティングしたプロ(スタッフ)の仕事には文句を付けないことにしています。あれこれ指図して不本意な仕事をさせるのは無礼と思います。ただし、もちろんお客様には満足いただけるものに仕立てます。 だから「注文」はつけます。

最終的に気に入らなかったクリエーターは、次には頼まないか、一定の範囲の仕事に限定します。

相手がデザイナーに限らず、僕はそうしています。


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