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  • 株式会社映像設計 代表取締役プロデューサー 神野富三

映像という便箋を使った代書屋

※この記事は2017年6月13日の弊社創立20周年の日に掲載した記事ですが、みんさんの目に触れて欲しいので日付を変更しました。


20年続けば偉いもの

と言われる会社経営。

株式会社映像設計を僕が会社登記したが1997年6月13日。

たしか金曜日だったけど、気にしなかった。

1997年

この年はトヨタ自動車のプリウスが発売になった年。

発売を前にして、そのメカニズムを説明するための映像を作りたいと要請され、豊田市の技術本部に話を聞きに行った記憶がある。

当時はまだハイブリッドという一般名詞ではなく、Toyota Hybrid System 略してTHSと呼んでいて、ガソリンエンジンと電気モーターの「いいとこどり」がキャッチフレーズだった。

技術の核である「回生ブレーキ」や「遊星ギヤ」の仕組みを根掘り葉掘り尋ねた相手は、たしかチーフエンジニアの方だったはずだから、今考えてみればあれは内山田さんだったのだろうか。

決してスタイリッシュとは言えない車形ではあったが、プリウスは売れまくり、ハイブリッドシステムは、あれよあれよという間に一般化して今に至るわけだ。

一方、映像業界は

創業して半年くらいして社員が入社、僕を含めて当時4人全員のちょっと高価なマッキントッシュを買い揃え、周辺からは「オーバースペックじゃないの?」と揶揄されたものだが、今や映像業界はコンピュータ世界そのものになってしまった。

2000年代に入ると、映像機器はどんどん高度化、低価格化し、業界は変質と淘汰の時代に。

映像製作技術だけでなく、ビジネスをコミュニケーションする方法も、ほとんどがコンピュータ技術(IT)に席巻され、同時に通信の高速化が映像コンテンツの価値をどんどん低下させてしまった。

こうして考えると、よく20年もやってこられたなあ、と思う。

代書屋という仕事がほんとうにあるのか知らないが

今放送しているNHKの連続テレビドラマに、題材が「代書屋」という番組がある。

(「ツバキ文具店」主演 多部未華子)

代書屋は頼んできた人に詳細に話を聞くのはあたりまえだが、渡したい相手のことも可能な限り把握しようと、様々な場面で対象をつぶさに観察する。時にはお客(代書を頼んだ人)の言葉の裏側にも気づく。

そして、手紙を書く時は便箋の選択にはじまり、ペンや封筒、その表装にまで心を配り、お客の気持ちが相手方に伝わるよう、「自分の心を使って書く」のだ。

「自分の心を使って書く」

というのはドラマ中のセリフだったのだが、この言葉は僕の心を突き、ちょっと胸が詰まった。僕はお客さんのために映像をつくるとき、その企画を考え、シナリオを書き、スタッフを使って形にしていく過程は、まさにこの「心を使っている」のだと思う。

映像の出来不出来、お客さんや視聴者の反応に、僕らはいちいち心を痛めたり、わくわくさせたりしている。これはまさに心を使っている証拠なのだと思う。

創業から20年間、細々とではあってもこうしてやってこられたのは、お客さんの入れ替わりはあるものの、その時その時で一生懸命な僕の心を受け入れてくれた人がいたからなのだと思う。

まだしばらくは、映像という便箋を使った代書屋を続けていくことにしよう。

株式会社映像設計の作品実績は →こちら


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