AIに映像・動画編集ができるか?

AIが作った俳句が人間に勝った!?
以前読んだ新聞の記事に「AIで俳句」「人間のつくった俳句に勝った」という記事があった。

AIに写真を見せて、ディープラーニングから得たプログラムで俳句を作成させてみたら、人間がつくった俳句よりも「優れていた」ということらしい。

これ、まるきりアイロニー。

「優れている」と判定したのは人間なんだよね。

 

これは言葉の定義

そもそもコンピュータ自体に感情は無いから(そう決めつけてはいけないのかな?)、AIが作り出した俳句にも感情がない、というのが僕の意見。

感情が無いことがわかっている俳句を評価するのは意味が無いと思うが、いかがだろうか。

写真から関連で出てきた単語を5文字、7文字、5文字という字数制限で選り分けて並べただけの文が、たまたま人が風流に感じる俳句になっている・・・、なんてことはいかにもありそうです。

よく、小さな子供が発する奇想天外な言葉に、親が「この子は天才!?」と感じるあれと同じでは無いのか?

 

ないしは哲学の問題

こうした「偶然できた創作のようなもの」を創作と言ってはいけないと僕は思います。

更に言えば、データベースの母数がどれだけ多かろうと、模倣は模倣。模倣は創作では無い。

創作はあくまで人の想像力と意図、意思によって、「人」からアウトプットされたもののことだと僕は考えるから。コンピュータからアウトプットされたものは創作ではなく、単なる計算結果。

 

ただし!

これだけは譲ろう。

人間がつくったものは、全部創作か?否。

今世に出回っている、コンピュータを使った作画やデザインの多くは模倣と言っても言い過ぎではないと思う。

こういう論議は、哲学の領域なので「正しい」「間違っている」というよりも、社会全体がどう考えるのか、ということかも知れない。

だから、世間全般の平均的な意見が「これは創作だ」と言えば、創作なのでしょうきっと。

 

ところで、映像制作(編集)をAIができるか?

と言う問いだが。

 

人間は心理変化する。

飽きる。

慣れる。

つまらなくなる。

 

撮影した映像素材を、制作者として意図に沿って(意図を表すために)並べていると僕はこの、人が「飽きる」「慣れる」「つまらなくなる」ことに、すごく気を使う。

すごく気持ち良い映像も、げっぷが出るほど続けてはいけない。どのあたりで慣れがでてきて、どのあたりでつまらなくなって、映像に関する興味を失うかを、視聴者の身になって、視聴者の気持ちの変化を想像しながら編集していかねばならないのだ。

 

こうした「飽きる」という感情ひとつをとっても、人によって大きな幅がある。

けっして定量化して計算式で表すことはできないものだと思う。

すごく楽しい経験も、やがて感動が薄れ、さらにはやがてそれを遺棄するという行動は、百人いれば百通りの時間と道筋を通るだろう。

 

こうしたことは、日常的にも皆よく知っているのではないだろうか。

そう恋愛がそうだ。

恋はやがて終わる・・・と僕は思うが、いつまでも終わらない人もいるし、いくつになっても追い求めている人もいる。

こうしたバラツキも、なにか人に関するの指標や定数を見つけて解明できるのか?

いやいや、表に出ている行動をディープラーニングさせたところで、気持ちは裏腹だったりするわけで・・・。

 

いかん、オチが付かなかった。
 

 

 

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