CM映像と伝承されない撮影技術

「撮影」にはお金がかかる
撮影を伴うテレビCM制作案件では、制作見積書の多くを占める部分が「撮影」に関する予算です。

撮影する対象が「そこにあるがままの様子」であれば、概ね撮影機材+スタッフ、照明機材+スタッフ、制作スタッフの費用だけで済みますが、出演者が加わればタレント費、スタイリスト、メイクアップアーティスト、衣装、小道具、ケータリング、助監督等の経費が計上され、スタジオであるかないに関わらず撮影する場所に「セット」が必要になれば、造作・美術関係の費用が加わって、全体予算はどんどん膨らみます。

たとえば、撮影された素材が手元にあり、編集作業以降の制作費を見積もれば、たぶん全体予算は数分の1になることが多いでしょう。

 

なぜCM制作には撮影が付き物なのか?

当然ながら「企画」を形にするためです。

そのCMの企画を映像にする素材が世の中に無ければ、新しく撮影するか、(リアルティは別として)CGなどで製作するかしかありません。

 

とことん作り込む世界

プロデューサーをはじめ、CMプランナーや演出(ディレクター)は頭に描き、絵コンテに書き落とした世界をカメラの前に出現させるために、必要な材料を集め、無いものは造り、映るものは細部まで拘ります。それが仕事だからです。この拘りの程度によっては予算は天文学的にさえなります。

 

この常識に疑問を持ち始めています

CM制作に携わるスタッフは皆がクリエーターだから、自分が描いた世界観をできるだけ寸分違わず映し出したい気持ちはわかります。それこそがクリエーターの仕事でしょう。

でも最近、「その企画(意図)を描くための世界って、本当ににそれしかないの?」と思うCMを多くないですか?僕が「これは何を意図しているの?」と思うのですから、世間にも少なからず「?」と思う人がいるはずです。

 

僕の年齢や趣味嗜好が普通じゃない面もあるかも知れませんが、いちおうプロですから、「この映像を観た視聴者がどう受け止めるか?」という考察については、まんざらズレているとは思えません。事実、僕の周辺の老若男女に訊いても「わけわからん」という意見を多数耳にします。

 

広告担当者が当事者バイアスに罹る

実際にCMを発注しているクライアントさんや代理店の皆さんがどう思っているかです。

たぶん「いえ、この世界観が欲しかったんです。満足です。」と言うと思います。

なぜなら、昔と違いいまは企業の広告担当者自身もCM制作の当事者意識になっているからです。

自身もクリエーターの目で制作工程を見守っていると、制作会社の関係者と同様の立場で作品を作り込んでいきたくなるものです。

もちろん人によって程度の差はありますが。

 

でも、でも、よーく考えてみて欲しいのです。

「あなたが撮りあげたそのフィルムは数百万、数千万円の価値がありますか?」

 

要因は別にもある

ところで、日本の映像制作の世界では、撮影技術をはじめ、様々な映像制作技能、技法や知識が蓄積、伝承されていないという問題を抱えています。

その原因は、映画界から始まりテレビ制作に拡大していった日本の映像制作業界の歴史において、妙な徒弟制度やセクショナリズム、リーダーがプロデューサーではなく監督だったりしてきた、日本独特の業界体質にあります。そうした古い慣習は映像の絵面にも現れ、日本では映像デザインの近代化が遅れ、新しい世代がそっぽを向いてしまったことで、映像技術やノウハウの伝承が止まってしまったのです。

 

僕が感じる今のCM映像の中途半端さは、この映像(撮影)技術の劣化・・・人の共感を呼ぶ世界観を描き出す映像制作力の劣化・・・も大きな要因になっているように思います。

こうした状況に一石を投じる「常識改革」「意識改革」を提案したいと思いますが、それは次週。

 

 

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