モナリザはなぜ微笑むのか〜映像の基礎

絵が描けない映像プロデューサー
僕は絵画に造詣が深いわけではないし、むしろ自身は非常に絵を描くことが下手です。この理由(言い訳)については以前どこかに書きましたので割愛して・・・。

 

映像制作の原材料である画像は基本的にカメラで撮影しますので、自分で描く必要がなく、たいへん助かります。これはコンピュータの時代になって、撮影素材以外でもコンピュータを使えば図表やイラストも、それっぽく作ることができ、ほんとうにありがたい時代です。その分、価格が下がり競合も増えてビジネスとしては厳しくなっていますが。


誰もがのべつシャッターを切る時代

さて、こうして誰もがカメラをいくつも保有していて、のべつシャッターを切り、コンピュータで自在に絵も描ける時代にあっても、そこに映されたり描かれたりしている物や人に関する認識、考察は、そうは深まっていないことに気づきます。

最近、気づいたことを書きます。

 

どこまでも追いかけて来るおまわりさん

最近はあまり見かけませんが、車を走らせていると昔はよく道端に、等身大のおまわりさんが立っていましたよね?もちろん本物ではなく、おまわりさんを写した写真を板状にして、電柱などににくくりつけてあったり(電柱じゃないか?)しませんでしたか?

 

で、ドライバーは一瞬「ハッ」とするのですが、すぐに看板とわかってホッとする。しかし、気持ち悪いことにそのおまわりさんは、車で走っている自分をずーっと見つめていて、視線が追いかけてくる・・・。そんな経験ありませんか?

 

それは至極簡単な理屈です

平面に固定されて動かない画像であるおまわりさんの目が、どうして追いかけて来るのでしょうか?

簡単です、その看板のモデルになったおまわりさんが、撮影の時にカメラのレンズを見ていたからです。

レオナルドダヴィンチの名作「モナリザ」の微笑みは有名ですが、あの絵も、どこから見てもモナリザが自分に微笑みかけているように見えます(勿論ぼくは生で見たことないのでレプリカです)。決して隣の人ではなく自分を見ているように見えます。モデルはずーっとダヴィンチの目を見ていたのでしょう。

 

カメラのレンズは、その写真を見る人の目になる

たったこれだけのことです。

この事実に多くの人が無意識のようです。

もちろん、視線が追いかけてくるのは錯覚です。

 

集合記念写真もこれ

みなで記念写真を撮る時「はーい、笑ってー、こちらを見てくださーい」とやって撮るのは、そうして撮った写真に写った人々は、その写真を見る人の目を見て笑いかけるので、その写真に「写った時」が非常に楽しい時間に見えるからです。

 

意図的に視線を逸らす技

余談ですが、最近は望遠レンズを使って、被写体から距離をとったところから、本人に気づかれないうちにシャッターを切ることも多くなりました。こうした写真は当然、被写体の人の目線は明後日の方を向いていますので、この写真に写った人はあなたを見て(意識して)いません。ですから「これがこの人の素の姿なんだ」という印象やリアリティを感じさせる写真になります。

ただ、この技も今では大衆化したため、リアリティに作為を感じることも増えてきて、あまり多用すると返って素人っぽいものになります。

 

もういちど言おう「メディアリテラシーを高めよう!」

今の時代、誰もがカメラを身につけて生活するようになり、誰もが写真のオーソリティになったような気分になるのですが、もう少し撮影の技法と、それによって切り取られる画像から生じる意味や意図について分析したり、考察するようになると、日々メディアから流れ込んでくる画像情報の、裏の意図も読み取ることができるようになるんじゃないかと、期待するんですが。
 

 

 

Please reload

Recent Posts
Please reload

Archive