映像制作の「当事者バイアス」について、ふたたび

当事者であるがゆえの客観性の喪失
以前このテーマで書きましたが、Wikipediaこういう言葉を見つけました。

この中の「自己高揚バイアス」とは「個人がその自尊心の拠り所となっている分野で平均以上だと信じているために生じるバイアスである。」とあります。

 

僕が業務上、お客様とのコミュニケーションでたまに出会うフリクションは、この言葉で説明ができます。

 

お客様

「私は自分の会社の仕事においては、知見を豊富に有しているから、業務理解は制作者よりも上等である」

 

制作者

「自分は映像制作のプロなんだから、映像に関して私の言うこと、持っている感覚の方がお客様よりも上等である」

 

僕の造語「当事者バイアス」とは、自己高揚バイアスと同義だと気づきました。

 

意表を突かれた試写を体験

しかし最近、当事者バイアスの出現をかなりの可能性と予想していた試写の現場で、まったくそれに出会わないという経験をしました。

非常に熱心に内容を作成していただいたお客様だったので、正直「これは相当に注文がつくだろうなあ」と覚悟を決めて臨んだのですが、改修指摘無し。

 

自分がやられていた

むしろ自己高揚バイアスに自分自身が罹っていたと言えたようです。

自分がプロデューサーとしてイメージしてたスペックが、むしろ枝葉末節な部分への拘りであり、お客様が望んだ「目的達成」には、その業務上まったく問題なかったという顛末です。

むしろ、よほどお客さまの方が、映像について客観的に見ていただけたのだと気付き、自身の至らなさを恥じた次第。

 

でもやっぱり。それが制作者の良心

かと言って、私が必要だと思ったスペックを今後は下げる、という意味ではありません。そこはもちろんお客さまの目的達成とは別な次元。当社のブランディングのためにも、絶対に曲げてはいけない(かといって押し付けてもいけない)部分として、こっそり次は達成します。

 

 

 

 

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