映像または動画および写真

若いクリエーターたちの志

先日ビッグサイトであったクリエイター見本市のようなイベント会場を見て回っていたら、若い男性ふたりで活動している「動画会社」があったので足を止め話を聞いてみました。

もともとは写真カメラマンだったのだけれど、従来の映像専業会社がつくっている映像作品の「絵が汚ないことが許せない」ので、自分で映像(ムービー)をつくるようになったと言います。

 

デジタル一眼レフカメラ撮影によるムービー

今流行りの一眼レフカメラによる撮影(いわゆるDSLR)で、カラーグレーディングにも時間をかけて、「しっかり作りこんだ」映像を制作しているようでした。

つまりフィルムトーンのように画像の陰影が深く、色の階調もしっかりと表現されている映像が「美しい映像」というポリシーのようでした。

彼らが言う、従来の映像屋がつくる映像は「絵が汚ない」という言葉の意味は、良くわかるのですが、古いビデオ業界人に言わせれば「映像と写真は違う!」と反論するであろうことも容易に想像がつきます。

 

どちらの意見もご尤も!

かく言う僕はそういう立場です。

映像を「瞬間の連続」として考えれば、どの瞬間も破綻の無い構図で、シミひとつ無い破綻の無い世界を繋いで映像作品を完璧なものにしたいでしょう。

一方、映像を「時間を持った空間」と考えれば、時間経過の途中で少々の破綻した瞬間があろうと、空間を意図通りに表現できていれば、作品の目的は達成できます。映像は一連の時間の中で、一定の「意図」を表現するものだという考えだからです。

 

映像づくりの目的が違う

単純に言えば前者は映像を見せるための作品づくりであり、後者は意図(シナリオ)を伝えるための映像づくりですので、そもそも目的(あるいは思想でしょうか)が違うわけです。

こう書くとたぶん「意図(シナリオ)を伝えることが目的に決まっている。そのために映像に破綻があってはいけないのだ!」と反論する写真カメラマンもいることでしょう。たしかに「破綻の無い映像作品」であればこそ伝えられるメッセージもあります。風情を伝える観光誘致や高級イメージのブランディング映像がそうです。

そもそも弊社(僕)の映像づくりの基本思想も、「映像はデザインだ!」です。

 

でもまあ、作り込めば込むほどリアリティが失われたり、意図が不明瞭になったりもしますから、この問題は企画次第であるとも言え、ひとまず「でなくてはならぬ!」という考えは、アイデアやチャンスを狭めてしまうので、あまり固定して考えないほうがいいのにね、とは思いました。
 

 

 

 

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