饒舌と寡黙、過剰と抑制

饒舌とは過剰な自己主張。

寡黙は抑制の効いた自己表現。

そんな言葉が頭に浮かんだ。

 

過剰にアウトプットされる情報は玉石混合

信頼性は薄らぎ、結果「話半分」として受け取られる危険性が高くなる。

中身がない事実を主張しようとする者に限って、過剰な言葉を饒舌に語ることが多い。

それを誇張と言う。

 

中身があっても密度が濃すぎるコンテンツは、結果何が伝えたいのかわからなくなる。

メリハリが無いから。

もし有り余る「玉」から厳選してもなお過剰なほどの言葉が残るのであれば、むしろ「玉」一個に絞って主張した方が効果的。

 

黙してもなお溢れ出る珠玉

それを「感じさせる技」が抑制であり、事の本質を見極めている者だけが為せる技。

饒舌も寡黙も人の性格同様、どちらも表現のスタイルだ。

 

映像は「見せるもの」?

だが「カメラに映らないものは表現しようが無い。」とは限らない。

むしろ映さないことで感じさせる表現も重要な映像表現だ。

だから、何を見せて、何を見せないか。

そこが肝心だ。

 

何事もほどほどに

僕は断然、抑制された主張、寡黙な時間の中にむしろ強い意志や個性を感じる派である。

だから僕が企画する映像は、過剰な演出や過剰な情報は詰め込まない。何事もほどほど、腹七分目くらいに留めておくことが、永く愛され期待され続ける秘訣だと思っている。

 

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