広告はもう終わっている。

と思う人が多くなってきました。

 

時代は広告から広報へ

とも言われます。
大雑把に言えば電波や紙面の枠を買って、そこに自社の宣伝を載せるという方法-「広告」が市民の購買行動に与える影響は小さくなり、代わって、番組や記事のコンテンツとして取り上げられることによって商品情報を拡散する方法-「広報」が販促活動の主役となってきました。SNSが更にそれを加速したとも。

 

 



告白しなくてはなりません

僕たち映像制作業は、広告業の片隅にいながら実は以前から黙々と「広報のふりをした広告」をつくり続けてきました。


 どういうことかと言うと、映像には必ず主語(カメラの視点、ナレーションの主語)があります。我々はそれを任意に設定して、本質的には手前味噌な情報を、映像はあたかも第三者が客観的に解き明かしているように印象づけてきたのです。



 しかし、学校でのメディアリテラシー教育が行き渡ったからか、自分で編集してみて皆が気づいてしまったのか、従来の手法で作られたこの手の映像は、今では見向きもされなくなりました。視聴者は本当のことと嘘を見分ける力を身につけてしまいました。

 

 


肌感覚で違和感を感じる

虚構を押し付けられるのを嫌い、嘘が無いリアル感を望む視聴者。2分を超えたら視ない、と言われる短尺の「動画」の世界には、ある意味で嘘はないのかも知れません。あってもそれは荒唐無稽であり、視聴者もそのことを楽しむことにおいて不愉快さは無い。ということでしょうか。

目を惹きつけるインパクト、
音楽にマッチした切り替えとデザイン性
あるいは、ゆるりとした癒やし

これらの「感覚・感情にフィットした映像」を素直に正直に創っていくしかないと、今は、僕は思っています。

 

「広報のふりした広告」

 ただし、今も広告の世界では「広報のふりした広告」を日夜世に流し続けていることも現実であり、いずれそれらの手法も市民にバレて、ついには本当に広告業は終焉を迎える・・・のかも知れません。その時、映像制作業はどうなるのでしょう?
難しいことを書くやつだなあ、とお思いかも知れませんが、日々進化して時代に対応するには、感覚だけに頼っているわけにはいきませんので。

 

 

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