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  • Writer's pictureTomizo Jinno

映像・動画作品における音楽や効果音(S.E.)の使い方

若い頃ラジオ番組を制作していた

制作する番組はほとんどパーソナリティが喋る番組だったけれど、時々「録音構成」の特番やら、クリスマス時期には「ラジオドラマ」の台本制作や演出もあり、そうした番組の制作は大好きだった。

台本ができると、音楽や効果音の選曲、時には効果音は自分で作ったりしたものだ。

そうした頃からの常識というか、演出という仕事には「過剰を排す」という基本原則があり、なんでも腹7、8分目を上限とする習慣が身についている。

僕はBtoB映像だけでなく、多くの映像制作分野で音楽や効果音が過剰に使われていることが気になってしょうがない。


映像作品に入れる音楽はBGMではない

音楽も立派な役者として働いて貰わなければ困る。すでに映像が言ったりやっている演技を、音楽が同じことを言ったりやったりするのは、無意味であるばかりか過剰な場合も多い。抑制の効いてない創作物は大衆芸能であり、演出作品としては俗物だ。

「俗物で何がいけないのか?」

誰でも真似ができるからイケナイのだ。

職業映像制作者であれば、自分にしかできない演出をしたい。


お客様に最大の満足を提供したい

誤解をしないでもらいたいが、僕らBtoB映像制作者はお客さんのために仕事をしているのであって、自分がやりたいことをやっているわけではない。お客さんに最高のものを提供したい、そういうことだ。どこかに同じものが転がっているような映像を「はいできました」、などというのは良くないと思う。


音楽・効果音は添え物ではない

音楽も効果音も、映像で表現しきれないことをアシストして、併せて演出意図を最大限にして見せるためのものだ。

最近は画面の中を様々なオブジェクトが飛んだり、跳ねたり、飛び込んだりするが(モーショングラフィックスとかアフターエフェクツでよくやるやつです)、こうした動きに「ピュー」とか「ピコ」とか「ジャン」とかいう音は、僕はつけたくない。

だって意味がないから。そもそも画面の中をオブジェクトが「動いている」こと自体無意味であることが多いのだ。その音が、画面内の動きを「表している」として、それでどんなメッセージが視聴者に伝わるというのだ?

それっぽい映像にそれっぽい音をつけるのは、誰だってやれることだ。


無音も音楽

さらには、よく、「黙っている状態が怖い」という人がいる。僕は全然そう思わない人間である。静粛は静粛で意味があるのだ。無意味ではないのだ。

一方過剰な音は、意味がないばかりか、映像にとってウルサイ。

映像を意味不明にしたりする。


まあ、何が言いたいかというと、僕がMAスタジオに持ち込む映像は、僕が指示しない限り効果音は無用です。あ、それと、ファイドアウトのフェーダー操作は手と耳でやってください。


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