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  • Writer's pictureTomizo Jinno

映像は経緯付き、静止画は経緯抜き

Updated: Feb 25, 2020

「事実」はどこにある?

時間とともに積み重なてきた「事実」を、その履歴(時系列)を参照しつつ「今を理解」する。今ある事実だけを眺めて「理解」したと考える。

前者は映像(動画)を視聴することに似ている。

後者は写真を視ることに似ている。


事実は単純化できない

少し前の記事で、「動画は情報量が多い」と書いたが、それこそ後者の情報量は前者の何百分の一、何万分の一である。1時間くらいのドキュエンタリー番組を視て、知らなかった社会問題について、一定の知識を得たと思うとしたら、1枚の写真を見て「わかること」は、その事実の登場事物が何なのか、ということ程度である。

(今だけの)「静止画」から受け取るメッセージは、たとえ複雑な事実が裏に隠れていても、目に見えるのは著しく単純化した事実にすぎない。


「わかった」とは

今見えてる景色だけで、物事をわかったような気になってはいけない。

物事には必ずそこに至った経緯がある。

単純化された景色から読み取る事実は「正論」の彩りを帯びるけれど、それを語ったところで、そこに隠れている課題の解決にはほとんど役に立たないばかりでなく、そこまで努力をしてきた多くの人々を傷つけ、下手をすれば蓄積してきた知見が散逸する。


どうか想像力を働かせて欲しい。

映像(動画)を、頭から最後までしっかり意味を考えながら視聴して欲しい。

どうしてそうなったのか、皆が考えて欲しい。


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