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  • Writer's pictureTomizo Jinno

映像のチカラの核心「視点シフト」

これ一色の世界

新型コロナウィルスのニュースに世界中の関心が注がれていて、社会の関心対象から外れた人の中には、胸を撫でおろしている人もいれば、歯軋りする思いの人もいることだろう。


この人は今?

長年貢献してきたつもりが、逮捕劇によってその功績も無にされてしまい、なんとか汚名挽回を図りたいと、ハリウッドの映画制作者に映画化を持ちかけた人、カルロス・ゴーン氏は今、どんな気持ちでこの事件を眺めているのだろう。


事件を映画化したい理由

ゴーン氏が、どうして自身の逮捕劇を映画化したいと思ったかは、とても理解できる。最大の理由は、映像が視聴者の視点を、主人公の主観的視点にシフトさせることができるからだ。そこで起こっていたことを、主人公の視点で再現して見せることで、主人公に見えていた世界・・・そこで起こっていた事象と、それらの連続が、どういう意味を帯びていたか、さらにそれらに対して、周辺の人々や社会がどのように関わっていたかを、これもまた主人公の視点から見せることができる。


「共感装置」映像

つまり、その映像を視聴した人が、主人公の(主人公なりに合理的な)行動の理由に合点がいき、共感できるなら、この逮捕劇は謀られたものかも知れないし、あるいは共感するあなたも犯罪者なのかも知れない。いずれにせよ、映像を視聴した人に共感者が現れれば、ゴーン氏も「俺の味方もいる」と、少しは溜飲を下げることができる。


映像のチカラの核心「視点シフト」

なぜ、映像になると人はモノゴトが理解がし易いかといえば、それはこうした「視点のシフト」が起こるからに他ならない。人はどうしても、自分が知らない世界、見たことがない世界について、自分の凝り固まった視点(先入観)でしかモノを見ない習性があるが、それが目に見えれば、少しは違う視点もあることに気付くということだ。


この歴史的な事件を映像化する時がくる?

今日本では、いや世界ではさまざまな「リーダー」が、歴史的な決断、対処を行っている。そうした判断や対処は、必ずどこかにしわ寄せや痛みをもたらすが、それらは我々国民が等しく受け止めなければならないものだと、僕は思う。

一昨日「目に見えないものはナイも同然」というようなことを書いた。

我々の見えないところで行われている決断に対して「説明責任」を求める声も多いが、それこそ「説明」をつくることにも、ものすごく大きな労力と時間を要することにも思いを致すべきではないか・・・。時には朝令暮改を余儀なくされる事態もあり得るだろう。

この非常事態の最中に、それをまた説明しなくてはならないのか? 「いったい誰のために僕は苦しんでいるのだ?」

ふだん人の目に見えない仕事ばかりしている僕は、彼らの思いを慮る。 僕なら挫けそうだ。官僚も政治家も、ぜったいに僕には向いていない。


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