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  • Writer's pictureTomizo Jinno

動画のアタリマエと映像のアタリマエ(その2)

昨日のつづきです。

「構成が無いことがアタリマエ」の動画制作者と、「構成が有るのがアタリマエ」の映像制作者。おのずと、そこから出来上がってくる動画・映像には大きな違いが現れます。


尺は短いほど良い

見せたいモノやコトが全部入っているのなら、「動画」の尺(時間)は短いほうが良いのがアタリマエ、というのが昨今のジョウシキです。「動画」制作者は「視聴者は長めの動画は必ず視聴離脱する」と確信しています。

序章も展開も無い映像構成で視聴者をつなぎ止めるには、美しとかカッコいいという、画像そのもののインパクトで引っ張るしかないのですが(あと音楽という手もあるか・・・)、いくら美しくても、カッコよくても、よく似た画像が連続してくれば、そのうち飽きてくるのが人間の性です。だから動画の尺は短いほうが良いのはアタリマエ、と考えるのは納得です。


映像の尺が長くて視聴離脱されるのは構成が悪い

どうして「動画」は長いと視聴離脱されてしまうのか、それは、構成が無ければアタリマエ、と「映像」制作者は考えます。良い構成があれば視聴者はいくらでも惹きつけられるとも考えます。実際にテレビ番組のドキュメンタリーや特集番組は、構成や出演者の質が良ければ1時間でも2時間でも視聴されていますから、嘘ではありません。一方であまり質が高いとは言えないバラエティ番組などは、どれを視てもかわり映えがしないネタの連続で、すぐにチャンネルを変えられてしまう傾向があるでしょう。これも「構成が良くない」からです。


尺の判断は「視聴対象をよく考えて」

短い尺の中で、画像のインパクトと音楽で引っ張る見せ方というのは、そこで扱われている題材についての当事者・関係者でない人(門外の人)には視聴対策として有効ですが、視聴者がその題材についての当事者・関係者である場合(B2B映像の多くがこれにあたります)、こうした方法は不満を感じます。なぜなら、あまりに表層的に見せているだけで、当事者であればもっと見たい・見せたい、関係者であればもっと知りたい・知らせたいところまで、内容に踏み込んで見せていないからです。




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