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  • Writer's pictureTomizo Jinno

ちょっと硬派な映像プロダクション「株式会社映像設計」

WEBサイト名古屋WEB動画制作所を運営する株式会社映像設計、代表の神野です。


大学生の頃、当時の他の多くの学生同様、僕もアルバイトとクラブ活動(ロックバンド)に大半の時間を費やす毎日でした。アルバイトは家庭教師3軒掛け持ち、夜間・深夜の繁華街立体駐車場の管理人、そして地元ラジオ局の技術アシスタントといった具合。このラジオ局でのアルバイトが後の人生を決めました。

民放ラジオ局技術アルバイトがはじまり 当時の民放AMラジオは隆盛に翳りが出始めていましたが、まだまだ集客力はあり、さまざまな番組が「公開録音」という出張イベント?を行なっていました。商業施設やカーディーラーの店頭に仮設ステージを設け、局員アナウンサーが司会進行。ゲストにタレント(主に歌手)を呼ぶのが定番で、大概が新曲のキャンペーンのためなのでノーギャラで2、3曲唄うものでした。


プロ顔負けのアルバイト集団 僕ら技術アルバイトは前日、あるいは当日早めに局入りして、局員の技術職のおじさんが書いたダイヤグラム(機材接続図+機材リスト)に従って、機材室で機材を出し、現場ではそのセッティングを行なっていました。そして本番中は、技術職のおじさん(ミキサー)の隣に座って、ナグラ(プロ用舶来高級テープレコーダー)を操作。歌手のマネージャーが持参したカラオケのオープンリールテープをテレコに掛け、頭出し。ディレクターのキュー、あるいは司会のコメントに合わせてスタートさせるのが仕事でした。録音用のナグラも僕らの担当でしたから、ずいぶん責任の重いことを任せられていたものです。時には生放送もありましたから。


有名歌手・タレントはあたりまえ ゲストの中には、当時はまだ新人だった、中森明菜や松田聖子。地元にゆかりのある石川ひとみや川島なおみなど、けっこう大物も来ていました。演歌歌手にいたってはいまは大御所と言われる人に何人もお目にかかりました。 そして、経験を積んだアルバイトスタッフには、深夜放送の担当ディレクターから声がかかり、深夜放送のミキサーとADをする者もあり、僕もそのひとりとして2年間(だったかな?)毎週月曜の深夜は夜なべ仕事をしたものです。こちらもゲストには松山千春や甲斐よしひろなど、著名なミュージシャンがゴロゴロという感じ。

前置きが長くなってしまったけれど、こうした若い頃の放送局でのアルバイトで、僕が終生身につけた態度が2つあります。

ひとつは「有名人を見ても騒ぐな」 これは、局のディレクターの多くが、局で働くスタッフのみんなに言っていたことで、放送業界で働らく者がタレントを見て喜ぶんなんぞは、ローカル丸出しで恥ずかしい、と言いたかったようです。その趣旨には僕も大共感する性格なので、僕も機材準備室の前を笑福亭鶴瓶が通ろうと、中島みゆきが通ろうと、そちらを見るでもなく、平時に振る舞うことを美徳としてしたことが、その後もそれがあたりまえになりました。

ふたつめは「放送局だから偉いなんて思うな」 これも、局のディレクターが折に触れて口にしていたのですが、事実、局員だからとその立場を利用して、取材先から利益供与を受けるとか、個人的に利便を受ける輩が多くいました。そういう相手の弱み(「宣伝してほしい」とか、ただ局関係者であるということだけで尊敬する人もいた)につけ込んだ優越感というのが僕は大嫌いなので、その後の人生でも、勘違いしている放送局員(じつは局員よりも、出入りスタッフのほうがこの「立場」を利用するやつが多い)を見ると、すごく嫌な気持ちになります。

ということで、俗に言う「ミーハー」な思考回路や行動パターンには共感できないことが多い人間なので、どうしても映像をつくるという仕事の面でも、なんでも真面目に考えてしまう僕なのでした。これって硬派ですよね?


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