- 株式会社映像設計 代表取締役プロデューサー 神野富三
ほんとうに大切なことは目に見えない。
Updated: Jun 28
それぞれに理解している、その意味
サン=テグジュペリの星の王子様のこの一節はあまりに有名ですが、僕も青年期この言葉にいたく感銘を受けました。でも理由は漠然としていました。
極限状況でみえてくるもの
サン=テグジュペリは作家である前に、飛行機の草創期のような時代に航空戦に、郵便に、大空を駆け巡っていたパイロット。
航路もほとんど未開拓の時代、まだレーダーもGPSもない時代に目視だけを頼りに雲の中や、夜間飛行をすることは飛行自体が冒険そのもの。何度も瀕死の重傷を負いながら、結局墜落事故で亡くなったと言われています。
「極限状況が日常」という中に身を置いると、この一節のような世界が見えてくるのだろな・・・と思ったことを記憶しています。
いまでは常識に
若い頃に僕に感銘を与えたこの言葉は、社会に30年以上揉まれてきて、いまでは僕にとっても日常的でアタリマエになりました。僕の仕事は「映像制作」。人の目にモノ・コトを見せる仕事をしていればこその境地かも知れません。
人は「見ていても見ていない」ものがたくさんある
また、「ある人には見えるのに、別な人には見えない」ものも。
同じ映像を人にを見せても、そこから受ける感情はプロフィールやパーソナリティによってまったく異なります。
人は自分の経験や知識、感情、つまり先入観によってモノ・コトに、それぞれ勝手に「意味」をつけています。「意味」にカタチはなく、目に見えないのに、人は「意味」が目に見えているように意識して生きています。でもそれは間違いです。「僕に見えていることは、みんなにも見えていてる」と思ったら大間違いです。
どうしてこうも人によって見ているもの、見えているものは違うのでしょうか。
「認識する」という意識の持ち方
まず一番に違うのは「意識」の持ち方。
「事実を正しく認識したい」と思っているか、「適当でいい」と思っているかどうか。
パッと見て思ったまま、それを事実として認識してしまうか、そのものを四方八方から見回し、時には中を開けてトコトン見るかどうかの違い。
大概、「パッと見たまま」の認識は事実を見たのではなく、印象を捉えただけ。先入観の引き出しにあった類似例に結びつけただけです。
誤解は人を傷つけます。
より深い理解をしたい、見た目に惑わされて誤解する危険を回避したい、と思うならば絶対にものごとはよく見て、よく考えた上で理解するべきでしょう。
裸の王様
もうひとつは、社会における「立場」かなと思います。
社会には会社や学校や地域などの、様々な組織・集団があり、経済レベルや教育レベルなども加わった「ヒエラルキー」がいまの時代も厳然と存在しています。
そして人はその階層の、上であろうと下であろうと、安定した場所で長く生き続けると、いつの間にか自分の立っている場所からの景色しか見えない、見ないようになります。年月が長ければ長くなるほど、人は想像力を失っていくようです。
人と人はわかり合える?
残念ですが、この幻想が人や社会を失望させ時には諍いを生んでいます。
諍いを避けるには「知ろうとする努力」が大切です。
映像を創造する仕事を通じて、人の想像力の可能性を伝えること。
それが僕の人生に与えられた、いちばんの役割かなと最近思います。