top of page
Search
  • Writer's pictureTomizo Jinno

映像編集技法は学問にになり得るのか

Updated: Aug 2, 2023

昨日まで4回にわたって映像(ショット)の「つなぎ方」のあれこれを紹介して、それぞれの技法がどのような効果(意味)を生むのかを説明してきました。 こうして文字にしてネットに掲載する以上、ある程度社会で承認されている認識であることをネットサーフィンして調べるのですが、調べれば調べるほど混乱してきます。例えば「カットバック」という用語は、「対照的な2つの場面の切り返し」とか「場面Aと場面Bを時間の連続性を持って繋ぐ」「2つ以上の場面をひとつの目的のために切り返す技法」など、さまざまな説明がみつかります。どれも同じことを言っているようには思えません。むしろ「カット・アウェイ」の説明と考えればどれも正解のように思えます。

文章とは無関係です

映像編集用語の定義 ことほど左様に、映像編集技法(さらには映像制作技法全般)の用語は、その定義が定まっておらず、人それぞれが自身の感覚で使い分けているように思います。どうしてこういうことになっているのでしょうか。

ひとつは、そもそも定義をするには明確に分類する必要があるけれど、どの技法も少しずつオーバーラップしていることです。 もうひとつは、映像制作社会(?)には、特に日本では、この分野のオーソリティが確立しておらず、「定説」を定める機能がこの業界に無いからでしょう。


映像文化後進国? 米国や欧州の先進国には、古くから映画制作について研究、教授する大学が数多く存在していて、オーソリティが育まれ確立してきましたが、日本では映画、TV番組、CM、企業映像、WEB動画などに、それぞれにそれぞれの専門家を輩出してはいるものの、それらの技術や知識を体系化や教育プログラム化をする人はいません。それぞれの業界が小さすぎることもあって、集団としての機能が脆弱でオーソリティが存在し得ないし、そもそも自身が行なっている技術を言語化して理解している人が少ないのかもしれません。そもそも映像制作のために学問は不要だという意識も根強くあります。 バラバラに解釈される映像 映像編集技法、言い換えれば映像の文法は、視聴者それぞれの認知能力に著しく依存していて、1ショットの映像から読み取る情報量は人それぞれ。人によって意味の異なる解釈がされれば、そもそもその文法は意味がないことになってしまいます。映像の文法なんて覚えても役に立たないかも知れません。そもそも僕自身、こうした用語は日常的には使用しないし、誰かに教えられたこともありません。 「俺の背中を見て覚えろ」 かと言って、そんなことばかりでやっていては日本の映像文化はちっとも高度化していきません。誰か(あるいは教育機関)がオーソリティとして認知され、メソッドを開発してくれませんかね。僕には不向きなんです。僕はものごとを断定的に言葉にすることができない人間でして、教育者にはなれないんです。

「俺の背中を見て覚えろ」ではダメ

bottom of page