- 株式会社映像設計 代表取締役 神野富三
360°とかVRとかARとかは映像作品になりにくい
360°とかVRとかARとか3Dとか
なにがなんだかよくわからずに「革新的な映像技術」みたいに騒いでません?
360°映像と言ったって
①ある物体を360°の角度から見回す
②ある1点から360°を見回す
という2種類の映像があるし、
だいたい、Virtual Realityが仮想現実で、Augmented Realityが拡張現実と言われたって、そもそも仮想現実と拡張現実の違いさえわからないし。
これでもよくわからない・・・
ちなみに前者は「仮想世界に現実を反映させる技術」で、後者は「現実に仮想世界を反映させる技術」だそうだ。
僕は、これでもよくわからない・・・。
単純に言えば前者は「CGの世界の中に現実(実際に有るもの)を映す」ということ?
後者は「実際の空間や物にCGや創作した情報を映す」ということなのか?
そんなに嬉しいか?
うーん、これってそんなに凄いことなのか?
ちょっと(だいぶ?)前に3Dテレビを再復興させようと目論んだ人たちがいたが、あのときも「結局コンテンツ」ということで決着(3Dなんてすぐに飽きる)がついたはずなのに、どうして○○リアリティだと上手く行くと思うのか・・・。
もう結論を書いてしまうが
360°だってVRだってARだって、その技術を目にした瞬間は「おう!」と思うけれど、人間はあっという間に飽きます。そこで飽きさせないようにシナリオをつくって、それに沿って編集したら「面白くなった!」・・・、それが映像コンテンツというものの面白さです。
見たことのない映像(技術)は、たしかに驚くけれど、それは写真が発明された時の衝撃と同じで、いつしかアタリマエに。誰かがそれを時間軸に並べて意図を持って見せてはじめて、人を飽きさせることなく観せられる映画ができたのです。
そしてやがて「右を向いて喋っている人」「左を向いて喋っているいる人」を繋いで連続して見ると、その2人は対話している、とか「画面が一旦黒くなって、新しい場面になったら」時間や空間をが代わっている、、、という視聴者の共通認識(文法、ルール)が出来上がってきて、映像の表現はさらに拡がりました。
文法ができてこないうちはだめ
つまり、360°もVRもARも、どれも物語を紡ぎ出す技法(文法、ルール)が出来てこない限り、コンテンツとして面白くないのです。つまり「(最初は)面白い」けれど「深みがない」。
そもそも360°の映像って、視るフレームを視聴者に委ねて、制作者の意図を意図的に希薄にしているものだし、VRもARも物語を排除して、視聴者の意図で見られるコンテンツを創っているのですから宜なるかなです。
なかなか始まらない
360°もVRもARも規格(文法、言語のルール)を統一して、コンテンツ製作者がその規格に沿って物語を描かないと、なにも始まらないのです。
誰かそれに気づいて作業をはじめてくれませんかね。
え?僕?
僕は正直に言うと、この雲を掴むような世界(映像空間)で物語を紡ぎ出すって、どうしても想像できないのですよ。
つまり創造できない・・・。
よく360度とかバーチャル映像は「自由視点」で視聴できるから、格段に視聴者フレンドリーである・・・という論調があるけれど、これは視聴者を買い被りすぎ、視聴者は面白い体験をさせてくれることを期待しているのであって、自ら努力して楽しくしよう・・・とはほとんど考えていないのです。
ただし360°カメラは買いましたよ
これ、既存の2次元の映像技術の中で応用するには、いくつかの撮影、編集技法がとても簡単に出来てしまうので、これは安い買い物でした!
