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  • 株式会社映像設計 代表取締役プロデューサー 神野富三

短い動画、短い文章が良いとは限らない


難解な文章というほどでもないのに 大学入試センターが実施した「平成29年度試行調査」の国語の問題を読んで笑ってしまった。

笑ったというのは、嘲笑ではなく、「ほくそ笑み」です。

この設問を読んでいただきたい。

第1問

青原高等学校では、部活動に関する事項は、生徒会部活動規約に則って、生徒会部活動委員会で話し合うことになっ ている。次に示すものは、その規約の一部である。それに続く【会話文】は、生徒会部活動委員会の執行部会で、翌週行われる生 徒会部活動委員会に提出する議題について検討している様子の前半部分である。後に示す、執行部会で使用された【資料1】~ 【資料3】を踏まえて、各問い(問 ~ )に答えよ。 (出典)

http://www.dnc.ac.jp/corporation/daigakunyugakukibousyagakuryokuhyoka_test/pre-test_h29_01.html 

http://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00011239.pdf&n=5-01_問題冊子_国語.pdf

ギャー!?

たぶん社会人経験が長い人ほど、こうした文にはアレルギーではないだろうか。

社会に出て民間の組織で働くと、組織内でも対外であっても、様々な稟議書や提案文書を作成しなければならない。そのとき、こんな文章を書いて相手に見せたら「こんなの誰も読まないよ」と一蹴されてしまいます。

だから、民間社会生活を続けていくと、文章はどんどん短く、端的に、シンプルになっていきます。

民間と書きましたが、お役所では今もこうした文章は当たり前ですが、こうした文章で広報資料を出すと、やはり市民にはとても評判が悪い。

「わからん!」と叱られます。

で、お役所も最近は「わかりやすい」ことを狙って、子供に聞かせるような平易な言葉と、時にはイラスト入りで文字数少なく広報資料を作ります。

でも、ちゃんと文章を読む習慣のある人にとっては、この情報不足は苛立ちます。

文章を読まないオトナ

さて、だいのオトナが、今のように文章をしっかり読まないようになったのはいつからでしょうか。

そう考えたとき、「共通一次試験」(後のセンター試験)が頭に浮かんだわけです。

ご存知、4択のマークシート方式です。

実は僕は、この共通一時試験の第1期生でした。

4択問題は、問題が理解できなくても選択肢の設定の仕方をよく観察すると、出題者の意図が見えてくることもあって(と当時は思っていた)、不得手な科目ではほとんど設問を読まないで、選択肢文章(答え)だけ読んで、ちゃっちゃとシートをマークしてました。

「設問を読まずに答えを探す」「文章を観る」という訓練をしたようなものです。

共通一次試験(センター試験)はその後40年間続いていて、今の日本人の多くが同じように「先に答えを探す」ような勉強をしてきたのです。

このことが、今の「長い文章をを厭忌する社会」を作ったのではないかと思います。

映像さえも短くないと嫌われる

今では映像(ムービー)さえも、長い尺のものは嫌われます。ロジックで組み立てられた映像構成を読み取る、という視聴の仕方はしません。

「動画=フィーリング」だと思われています。

再構築するチカラの欠如

長文を読む力、読み取る力というのは「読んだ情報を頭の中で再構築する」ということだと思います。そうした力は読書には絶対に必要だし、それは映像作品を視聴するチカラにも通じるものだと思います。

映像は1カット1カットから読み取った情報、感じ取った感覚を頭のなかで再構築してこそ、制作者の意図を理解できて、より深く楽しむことができます。ひとりひとりが自分の頭で情報を再構築するチカラを有していることが、文化的な社会の構築には必須です。

なんでもかんでも短く?

端的であることを「優れた表現」とするのは危ない思想です。

少ないな情報は、妥協と不公平の温床です。

だから、この度の試行調査試験のような設問で大学試験が行われるようになれば、日常的に難解な長文に慣れ、社会人になっても長文をやすやすと読み取り、粉飾に満ちた文章の中から事実だけを抜き出せる、大人らしい大人が育つのではないかと、期待するわけです。

短い動画、短い文章が良いとは限らない


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