- 名古屋WEB動画制作所 管理人 神野富三
映像(動画)における「ま」
「ま」
さて、今回僕が問題にしたいのがマ。
間の「ま」です。
余白とか空白とかの仲間です。
「静止」状態も「ま」ですね。
静粛が怖い?
僕は家内とふたりでドライブしていても、1時間位いは平気で黙っています。
で、その間はどうしているかといえば、互いに「考えて」います。
あれこれ空想したり、予定をこなすための段取りなどを想像しています。
物理的な空間に音声が無いというだけで、アタマの中まで空白というわけではありませんよね。
よく「あなたは会話が途切れるのが怖いですか?」という問があります。
「ま」を「魔」と感じる人もいるということですね。
「まが怖い」人は、相手が何を考えているかわからないという疑心暗鬼に囚われるのでしょうか。
いきなり怒り出すかも?←怒られるようなことしとるんかい?と突っ込みたくなります。
WEB動画にも「ま」が無いものが多い
昨今WEB上で見かける「動画」の多くは1分から3分くらいで、1曲の音楽でアタマからオシリまで通す、というのがアタリマエのようです。
これ以前も書きましたが、さらにその1曲の選択が、単調で起伏の少ない曲であることが多い。
映像も曲のテンポに合わせてアップビートないしは、歩く速さくらいのリズムで平板につながれています。流れに間断がありません。
つまり「ま」がない。
選曲する曲にも「ま」が無い
映像につける音楽を1曲で通す場合、その曲に「ま」が無い限り、音声にも「ま」は有りませんし、
音声に「ま」が無いということは、たぶん映像にも「ま」が無い。
視聴者に対して「ま」を与えない映像を制作するということは、どういうことだと思いますか?
僕は、これ「まが怖い」症候群のひとつじゃないかと思います。
映像作品における「ま」は、そこで一旦流れを止めて、視聴者にそこまでで感じた印象を総括してもらい、次に始まる展開?転調?を期待する空気を作る、てな意味があると思うのです。
「ま」が無いということは、そうした視聴者の咀嚼作業を阻止して、一方的なメッセージを投げつけ続けることで、考える暇を与えたくない、という意図があるんじゃないだろうか。と思う。
で、最後まで見てから考えろ?
いや、考えて欲しいのではなくて、感じたままでいい、ということでしょう。
「ま」=考える時間=考えて欲しくない。
あるいは
「ま」=空白=意味がない、無駄。
かも。
「ま」は水を差す!?
映像に「まをつくる」ということは、そこまでの流れに水を差してしまうし、その間に視聴者が何を考えるかわからない!?目が覚めてしまう!?
というふうに無意識に「ま」を避けているのかもしれません。
結論は先延ばし
まだ僕も、最近の若いクリエーターが「ま」を設けない映像をつくる傾向について、考察しきれていないのだけれど、やはり、「何も考えずに観て欲しい」ということなのかな、と思っています。
言い換えれば、「何か考えてもらっても、何も出てきませんよ」ということかも。
つまり以前も書いた「映像に意味なんて求めないでください」という時代なのか。
ということで、いまのところこの結論に落ち着いている。
追記)「ま」という演出方法を教えてもらっていないだけじゃない?という意見も。
