- 株式会社映像設計 プロデューサー 神野富三
株式会社映像設計、代表プロデューサーが生きてきた時代(その2・2004-2010)
Updated: Feb 13, 2020
少人数多能工
映像制作会社といえば分業があたり前だった時代に、弊社は少人数で制作できる体制を敷いたのが高収益を生んだ。
サラリーマン時代は「他人の仕事」と思っていた仕事も、演出、撮影、照明、録音など、あらゆる職種を間近に見ていたことから、殆どの領域のことが理解できた。その上、企画、シナリオも自分で作れるという自信が付き、過去の付き合いから、クライアントもいくつか持っていたことで、私の役割は「プロデューサー・シナリオライター」なのだと自認したのは、こうして独立・起業した時が初めてだった。 37歳の頃である。
映像業界の変化
少人数の制作体制はそのうち、世間でもあたりまえになり、IT 化とデジタル機器の高機能・安価化によって誰でも映像が制作できる環境が整った。いちはやく少人数体制を敷き、映像機器の高機能化、低価格化の恩恵を受けて来た、映像設計の高収益ビジネスモデルはもう過去の事になった。
映像を視聴する人の変化
VHSテープ、DVD 盤といったメディアはカタチ、質量を持っていたが、通信の高速化によって、無形のまま瞬時に流通するため、金銭的価値観が希薄化、低下 ・ワンクリックで視聴できるし、スマホも増えてくると、つまらない映像はどんどん飛ばし、(音声もあまり意味を持たず)ただ「おもしろい」「きれ い」な映像だけ視聴することに馴れた。
「さあ、観て下さい」
と視聴することを迫られるのは不快で、時間が長い映像は、集中の緊張がキレた時点で視聴を停止する。 予め興味のあるコンテンツでない限り、「動画」は数分までが限度になった。
広告・宣伝が効かない時代
クライアント、スポンサーが利益を得る為の情報を消費者に伝える ・すなわち、クライアント、スポンサーに都合のいい情報操作をしていることが、もうバレてしまった、作り手のそういう作為、意図 は視聴者はお見通しとなった。
「株式会社映像設計、代表プロデューサーが生きてきた時代(その3・2011-2019)」
