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  • Writer's pictureTomizo Jinno

映像制作者がテレワークのことを考える

テレワーク

新型コロナウィルス渦によって、にわかに脚光を浴びている。

テレコミューティングという呼び方もあるようだし、その昔は大きく括ってサテライトオフィスという言い方が、この勤務形態のことを表していたと思う。


テレワークの前提

「テレワーク」という概念は、それで働く人が被雇用者であり、「管理すること」「チームで成果を出す業務であること」が前提となるのときに意義が生まれる。

つまり、「ちゃんと働いているか」「関係部内と連絡を取り合っているか」が測れ、記録に残すことができなくてはならない。

フリーランスのクリエーターや個人士業者などは、スタンドアローンで日常業務は可能で、管理される必要もないし、チームで仕事を進める義務はないので、テレワークという働き方は、そもそも成立しない。


出社しなくても給料がいただける

つまりテレワークとは、これまで出社することで「出勤」となり、デスクでなにやら行っていればお給料が貰えていた人たちが、会社に出勤せずにお給料をもらえる働き方なので、雇用者としては「ちゃんと仕事しているか」を把握する仕組みこそが「テレワーク」の本質的な意味になる。

今普及しているテレワークのためのツールの主だった役割は、インターネットを通じて情報交換する「テレビ会議」「データ共有」「勤怠管理」と言える。


「勤怠管理」

なにやらこれは意味がないように思えてならない。

PCの前に座っていれば「出勤」なのか?労務完了なのか?


「データ共有」

これは今時、オフィスの隣同士でもネットワークを通じて共有しているので、これも特別意義深いものでもない。


「テレビ会議」

これは経験ある人ならわかるが「顔が見えるから言っていることがよくわかる」ということは、ほとんどない。「あ、この人怒っている」とか「やる気ない」てなことがわかるだけで、建設的なコミュニケーションに役立つとは思えない。

不躾な映像屋がよく言うけれど、「映っていればいいというものではない」のだ。

今はテレビ会議をしながら、その画面のインターフェイスを使ってデータの送受信や視聴ができるので、「なんだか便利みたい」だが、これも実際には相手の操作を待っている時間が結構ま抜けで、操作自体がうまくいかないこともままあって、無駄な時間を費やすことも多い。


ハードウェア先行

これらのことを考えると、現時点でのテレワークは通信事業者や情報システム屋さんの思惑に乗せられて試行錯誤している段階ではないだろうか。

会社や組織、他人への依存心の強く、現実的には「成果を出す人」というのが社員全員ではない日本の企業社会では、テレワークの100%の実現は無理なのかもしれない。


人間が欲するコミュニケーションの「心」とはなにか

要は、テレワークの核心にあるべき「成果を出す建設的なコミュニケーション」を可能にする、もっと人間の心に沿ったツールが出てこないと、ほんとうに有意義なテレワーク労働環境は整ってこないように思う。


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