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  • Writer's pictureTomizo Jinno

映像の記憶と現実の時間

経験と勘の「時間」

手慣れた映像エディターや(自分で編集を行う)ディレクターは、1カットの尺に最低何秒必要かをカラダが覚えています。普通に状況説明する部分の編集をするならば、例え単純な対象を撮った静止画であっても、3秒では短すぎる。4秒では忙しない。5秒あれば大丈夫だが、しっかり見て欲しい対象ならば8秒以上見せてもいい・・・、とか知っています。


編集のリズムと時間

パンニングやズーミングをしているカットであれば、頭1秒、お尻1秒「止め」を付けることで、落ち着いたシーン構成ができ、パンやズームのスピードは、前後の編集のリズムを考慮します。テロップを見せる時間は、その文章をゆっくり読んでみて、さらに+1秒以上は欲しいもの。


無関係な場合も

こうした「カラダで覚えた常識」は、むしろそれを破ることも大事な演出法です。パン・ズームカットも「止め」無しで使うことなど茶飯事です。音楽に乗せて短くカットを繋いでいくとか言う時には、こうしたルールはまったく無視していいけれど、音楽のリズムやアクセントに合わせすぎると馬鹿みたい(センス悪く)なります。

これらのことも経験的に知っています。


等々

総じて言えるのは、一般の方が思っているほど「1カットは短く無い」ということです。

僕らのビジネスでは、構成・シナリオの原案をお客さんからいただくことも多いのですが、「これで1分」と思われているシナリオが、編集してみると大方が3分になっちゃいます。それくらい、イマジネーションの「尺」は短く、実際の尺は長いものです。

脳に残す映像の記憶というのは、実際の尺を短縮(圧縮)しているのかも知れません。


「光陰矢の如」

映像もその本質は「光と陰」。

もしかしたらこの諺は、こうした映像記憶の圧縮効果のこを言っているのかも知れません。


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