Tomizo Jinno
映像が提示する「もうひとつの視点」が視聴者を惹きつける
昨日のテーマと類似しますが、今日は僕らの仕事の本質を書きます。
例えば「幼児の視点」
カメラの位置を下げ、よちよち歩きの幼児の目の高さで見える世界を再現するのは、比較的容易に可能な「新たな視点」です。たぶん誰でも考えつくし、実際に撮影可能です。
幼児の知能は映らない
でも、低い視点の世界を視たとしても、その幼児にとって「どう映っているのか?」ということとは違います。「どう映っているのか」とは「どう理解しているのか」「何を考えているのか」という意味です。例えばその部屋のテーブルに100万円の札束があり、床にはセミの死骸が転がっていたとすると、幼児の視線はたぶんセミの死骸に向くでしょう。大人ならまず100万円に目を留めます。幼児には100万円はただの紙切れの束でしかないからです。
映像作家はもうひとつの視点を想像する
幼児の気持ちになって、その高さの視点で歩いたら何に目が行くか?そう想像しながら幼児の世界観・価値観を、映像として再現して見せるのが、映像作家の仕事です。視聴者にとってそれまで無かった、あるいは忘れていた視点を与えられて、視聴者がハッとする。そういう体験を創造することこそが、映像作家の仕事だと、僕は考えています。
カルロス・ゴーンが自伝映画を作りたがる
それは紛れもなく、彼が映像のチカラの本質を知っているからです。彼は自分の視点に立てば、自分がしてきた功績の偉大さや、自分の汚職嫌疑が根も葉もないことが視聴者には理解してもらえる、とそう考えているに違い有りません。映像は、たとえ主人公が犯罪者であったとしても、その境遇や経緯に同情の余地があれば、その主人公を応援したくなる・・・、そういう働き掛けができる道具です。それは、映像は視聴者がそれまで視たことがない、想像もできなかったような視点の世界を描くことができるからです。カメラの目が自分の目となり、その世界の中を見て回れば、やがて自分はその主人公と同一化します。一定時間そうした時間を経れば、いつの間にか自分もその主人公に共感してしまっていることに気づきます。
映像によるプロパガンダ
かつてヒトラーも、このチカラを利用しました。それくらいすごいチカラを持っている映像ですから、企業のPRや商品の販促にも、そのテクニックは応用できます。僕ら職業映像制作マンは、この映像の本質を利用できて、初めてプロと言えます。
2分や3分でプロパガンダは無理
最近流行りのショートムービー、短編動画では、視聴者を映像が提示する「もうひとつの視点」に共感するところまで持っていくことはできません。人が他人に共感するには、一定以上の時間が必ず必要だからです。
仲良くなるのにはともに過ごす時間が必要
私たちは日常的に、こう感じているはずです。映像も同様です。ちらっと見ただけで、その人に警戒心を解くことはないように、人は一緒にいる時間を過ごすことで、だんだん心を開いていきます。これは映像を視聴していても同様です。一定以上の時間を掛けて、主人公(もうひとつの視点)の心境を理解できるまで、視聴者には「共感」は起こりません。
人を惹き付ける映像には、一定以上の尺が必要なのは、こういう理由もあるのです。
