Tomizo Jinno
感情が支配する社会へ
※この記事は2008年4月1日の旧ブログ記事を転載したものです。
コンプライアンス
政治社会、企業社会あるいは民間においても、法律遵守に関する監視の目が厳しくなっています。法律を守ることは当然ですが、制度の狭間や歪の中でこれまで皆が容認してきたことまでが断罪の対象になっていることが、どうしても気になります。
基準は「感情」?
そのキーワードが、今は“感情” であるような気がします。
「感情的に許せない」から罰し、
「同情できるから」許し、
「あまりに影響が大きいから」問題にしないのでしょうか?
その基準は誰が線を引くのでしょう?
容認してきた私たちも同罪ではないのでしょうか?
映像がミスリードする危険性
私たち映像制作に関わる人間や、事件を解説し配信するメディアは、そういった感情を醸成する材料を提供しているということ、人をミスリードする危険を孕んでいることをよく考えて仕事をしたいものです。
