Tomizo Jinno
メディアの制御は誰がするべきか
的を得た発言の千葉市長
「世の多くの人が自粛を守っているために、自粛を守っていない人たちに対して、罪悪感を感じず、遠慮なく叩き、優越感に浸り、人々が共感を感じることができる、その深層心理をメディアは利用し、視聴率やアクセス数を稼ぐことのできるコンテンツとして利用しているのです。」千葉市ホームページ「ようこそ市長室へ」5月1日の記事より。
メディアの主流はSNS?
ネット上でより拡散されることがお金に結びつく以上、市場経済のなかでメディア活動をする人は、クリックされる、シェアされるタイトルや見出しのコンテンツづくりに走るのは自明のことです。日本を代表する新聞社でさえも、ネットメディアでの注目が経営に直接影響する時代ですから、週刊誌やネットニュースサイトはもっとドギツく走ります。
記者ひとりひとりはそんなつもりはなくても
それが寄せ集まって「日本人の民度はそんなに低くなってしまったのか?」と嘆きたくなるような雰囲気を醸し出してしまっていることに、自覚はあるのでしょうか?
では報道統制すればいいのか?
ということには誰も賛成しません。僕ももちろん賛成しません。では、こうした状況を放置してもいいのでしょうか?社会を現実以上に悲観に導き、厭世を撒き散らすことが、メディアの正しい道であるわけがありません。
メディアに自浄作用が働く仕組み
やはり経済的な力学が組み込まれれば、営利目的のメディア集団はより儲かる道へ誘導されるとは思いますが、そんな仕組みはなかなか思いつきません。なによりも、人間というのは不幸な話題に目を向け、人の不幸をしゃぶって楽しむという、困った性分を捨てられない動物ですから。
だから
励まし合おう
応援しあおう
これは日本赤十字社が公開しているアニメの結びの言葉です。
なんとかならないものでしょうか。