• Tomizo Jinno

「動画」の功罪(その3)

Updated: Mar 25

「単語」と「イメージ」

単語とその具象を結びつける、つまり単語をイメージ(画像)に置き換えるには、その具象を見たことがある、という経験が必要です。

ただし、例えば「女性」と言っても、10代の男の子が思い浮かべるのは、お母さんやお姉さん、で10代の女の子ならば20代くらいの憧れの女性かも知れません。言葉と具象の組み合わせは、人によって皆異なり、必ずしも一致しません。

単語とその具象は「1対1」の関係ではなく、「1対多」です。


想像することこそ個性

そしてその具象(イメージ)の個人差こそ、それをおもい浮かべる人の個性であり、それぞれの人の感性・心の豊かさを表出するものだと思いますが、違うでしょうか?

言葉を解釈するという思考は「想像する」という脳の活動と言えるのではないか。


動画はすでに具象

ところが、動画はすでに具象としての画像の連続であり、想像力を介在しないので、個人差を生みません。だから文字、文章のコンテクストから言葉の意味を理解する(あれこれ想像する)というプロセスが要らず、面倒でなく「よくわかる」というわけです。

研修マニュアルとしての映像なら、視聴者が受け取る情報に個人差が生じず、結果としてのアウトプット(研修成果)も確実になります。


思考停止

ただし僕が問題だと思うのは、その動画が伝える情報は、「想像する(考える)」という脳の活動が不要で、解釈も誰もが同じで、人によって異なる理解も起こりません。たんなる自動運転と同じで、青が点灯するからスタートすると記憶するだけで、なぜ青だとスタートしていいのか?とか考えることはないのです。つまり頭は「思考停止」のまま、人々の感性も個性がなく一様になります。

これは「学習」ではありません。


言葉だから学習が行われる

言葉で伝えれば、解釈するためにあれこれ思考して、その結果行動することの意味を理解します。同時に類似の状況における行動についても、どうするべきかも気づくことでしょう。それこそが「学習」でしょう。

つまり動画では学習活動が行われないのです。


動画学習はAIに任せておけば?

動画学習は人間にデータベースを読み込ませ、行動指令を書き込むのと同じです。AIでもよく「学習させる」と言いますが、厳密には1対1の情報を膨大にインプットすることで、答えのバリエーションがたくさんあるため「あたかも考えているように見える」だけです(そうですよね?違うのかな?僕はそう理解しています)。

人間が動画で学習する、というのならば、それこそ膨大な経験をすべて動画化して視聴させないことには、全人的な人格を形成させることはできないでしょう。

ひとつのことに特化した技術やら方法を習得させるのには、動画は実用価値があると思いますが、なんでもかんでも動画にその役を担わせるのは、なにかとんでもない人間集団ができあがってくるような気がして、とても怖いと思うのですが。


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