Tomizo Jinno
「予定調和」で見応えある映像を制作する
ストーリーの無いWEB動画流行り
シナリオが無い動画は、視聴離脱をされないうちに終わるのが常套手段です。つまり尺を短くすることで最後まで観てもらう、という策を講じます。それのどこが「策」なのだろうと思いますが。
シナリオに沿って映像を構成する
それには知識も経験も「頭」も必要です。つまり頭を使わなくても作ることができるのが(勿論、使っている人もいます)、ストーリーの要らないWEB動画です。だから、そうした動画制作案件は予算が5万とか30万円という値がついているわけです。
シナリオに沿って映像を撮る
それは「そこにあるものを撮る」のと違い、「そこにあるはずのもの」を予測する想像力、経験値、「そこにあるようにする」構想力、創作力が必要なため、撮影の準備に要する時間、労力、お金、撮影に要する機材、技術、スタッフが格段に高度になります。だから予算が100万とか1,000万になります。
シナリオは「予定調和」だと言うけれど
「ストーリー」の基本パターンは、世界中探しても何百通りもあるわけではなく、せいぜい数十通りではないでしょうか。そのどれをとっても、読者、視聴者は、その後の展開に予想がついてしまうことでしょう。でも、人間社会におけるストーリーとは、大方そういうものであり、人の営みとはそういうものです。
予定調和はつまらない?
そう思うのは大きな勘違いです。予定調和がきちんと描かれていないことで起こるのが「シラケル」ことです。昨今の「ストーリーあり映像」では、人間の営みをちゃんと洞察していない、ちゃんと演出していない作品ばかり。そうした映像ばかり見せられているから、多くのリアイリティ至上の若い世代が、「ストーリー」というもの自体を、作為(リアリティがない)ダサいコトと考えている、僕はそう思っています。
予定調和ストーリーは簡単には創れないものです。
だからこそ価値があるのではないですか?
一昨日、山田洋次監督原作のドラマを観ていて、そう思いました。
