重厚長大時代への郷愁
戦後の復興とともに訪れた日本の高度成長期。
「大きいことはいいことだ♫」と唄われた(1968年頃)時代。
国土の開発、交通インフラ、近代都市の整備のために巨大トンネルや巨大ビルが次々と建設された。それらの工事には様々な難関が立ちはだかり、多くの工事が「日本初」「世界初」の技術を開発しながらの建設であった。
大手ゼネコンや所管官公庁は自分らの技術力PRや成果を誇るため、多くのプロジェクトは建設記録として、16mmや35mmフィルムカメラによる定期的な撮影が行われ、竣工すると編集され、ナレーション、音楽が入って「映画」となった。
それらの映画制作を担ったのは、大手ゼネコンの資本によって設立された映画社や放送局系列の映画製作会社であり、それらのプロダクションこそが、日本のBtoB映像制作ビジネスのルーツである。
当時の工事の請負契約書には、必ず「記録映画制作一式」という項目があり、あまり目立たぬ地方事業であっても、最低一千万円くらいの予算がついていて、ゼネコンがその工事を受注すれば、系列の映画製作会社は自動的に仕事が入ってきた、という時代なのである。
ただし、今も昔もBtoB目的で制作された映像(映画)は放送されることはめったになく、見る人が限られていて、ましてやインターネットが無い時代、映画を鑑るのには上映設備が必要であり、結局見るのは事業に関係した人と、次の事業を受注できるよう働きかける相手だけ・・・というもの。
1980年代になって家庭用ビデオ(主にVHS)が普及して、映画フィルムはVHSテープに変換されて、営業、宣伝ツールとしての道を歩み始めたのである。
・・・とまあ、僕もその時代の最後の尻尾あたりで、この業界に入ったので、当時の仕事の多くは、こうした映画社が「安くてやってられない」仕事のおこぼれだった。覚えているのは映画社が潤沢な予算で完成させた映画(フィルム)を、テレシネ(フィルム→ビデオ)してビデオテープ(当時は3/4インチが主流)をつくり、それをマザーにして1/2インチ(VHSやβmax)を大量にダビングする作業。納品前の「検品」としてすべてのテープを一本一本、一日中見ていた記憶。
でも、今にして思えばこの作業、カット割りやシナリオ、演出の勉強にはすこぶる良かったようにも思うから、あんな単純作業でお給料が貰えていたことは、ありがたいことだったのかも知れない。
話が脱線したが、今日挙げたIHIの映像を見ながら、こんなことを思い出したわけである。この映像、やっぱトルコのイズミット湾のロケーションを空撮(ドローン)した映像は気持ちいいし、巨大なクレーンで吊られた橋梁パーツに、協力国の大きな国旗が垂れている様子は、なんだか友好の印!みたいで嬉しい感じがするので、こうした仕事に関われた人は幸せだなあと思う。
作品としては、クライアントの構成原案があったかどうか知らないけれど、うまくさばいてまとまった作品に仕上げたな、と思う。ただ一点だけ、日本語のテロップのデザイン(特に文字間隔)に関して無頓着なのが残念。
シナリオ ☆☆☆
オリジナリティ☆☆
デザイン ☆
サウンド ☆☆
演出安定感 ☆☆☆☆