Tomizo Jinno

Jun 20, 20233 min

株式会社映像設計(名古屋WEB動画制作所)は創業27年目に入りました

アナログからデジタルへ

アナログからデジタルへ

株式会社映像設計の創業記念日は1997年6月13日。
 
この年から翌年に掛けての期間が、光学フィルムの出荷量が過去最大となり、写真(映画)フィルムは以降衰退を辿ることになりました。すでに映像記録媒体の主流はフィルムからテープに代わっていましたが、この頃から映像信号がアナログからデジタルに移行し始め、撮影技術だけでなく編集技術の現場でも、その概念自体が変容を始めた頃でした。
 
映像データのデジタル化は、今ではダビング(ほとんど死語!?)による画質の劣化を問題にしない程に進化しましたが、その恩恵を有り難がっているのは、あの頃から映像の仕事をしていたロートルだけかも知れません。記録媒体も磁気テープから半導体メモリーに代わり、大きさは激小に、容量は劇大になりました。
 

 
産業革命以来の問題が最大課題に

産業革命以来の問題が最大課題に

この年はまた、18世紀後半に始まった産業革命によって始まった化石燃料の燃焼による二酸化炭素の排出が、いよいよ地球規模で問題化。地球温暖化会議の京都会議が行われ「京都議定書」が決議されました。今なお続くCO2排出量低減問題の事実上のキックオフだったわけですが、この問題はいまだに出口が見つかっておらず、映像制作の仕事においても、いまだにコンテンツに盛り込まれる代表的テーマのひとつです。
 
今はSDG’sという広範なテーマを論じる時代ですが、「持続可能な・・・」という用語もこの頃、CO2排出量低減の話題とともに使われるようになったと記憶しています。
 

通信速度とSNSの加速による激震

通信速度とSNSの加速による激震

インターネットはすでに登場していましたが、まだまだ普及しておらず、ごく限られたマニアックな人々が利用を始めていたくらいでしたが、弊社は1997年の10月にはドメイン eiset.co.jp を取得してe-mailによる対外的なコミュニケーションを始め、当時はまだ「そんなことしてどうするの?」と陰口を言われた「ホームページ」も開設しました。
 
それでも2010年頃までは、我々ビジネス映像コンテンツの世界は非常に専門性が高い業務であったため、広告代理店や大手企業の広告宣伝部などとのリアルな営業取引、継続的取引(顧客)がほとんどでした。ホームページはお飾りにすぎませんでした。
 
しかし通信速度の飛躍的な加速と同時に登場してきたYouTubeをはじめとした動画共有サイトの隆盛で、業界地図は一変しました。それまでブライダルビデオを制作していた会社やホームページ制作会社、そしてフリーランスの動画クリエーターの膨大な業界流入でBtoB映像が果たす役割自体が大変動しはじめ、今なお変化し続けています。
 

 
「専門性」

「専門性」

しかし今の段階では、そうした新興のBtoB映像業者は「動画制作屋さん」にすぎず、このカテゴリーの映像制作の専門性、可能性を限定的にしか理解していないことが弊社にとっては幸いと言えば幸いです。
 
そんな今の時代、これからの時代をどう生きていくか!?
 
・・・より専門性を活かした映像制作案件を獲得し続ける! それに尽きます。
 
そのために、専門性を活かした映像が世の中には必要なのだということを、これからもアピールしていきます。